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株式会社 藤 村

「海の幸」への限りない愛着とお客様を思う心が
優れた加工技術と最新の倉庫設備を実現

 

株式会社 藤 村
     http://www.kakujyu.jp

 代表取締役社長  藤邨(ふじむら) 輝行
 本社所在地 / 茨城県神栖市波崎8213

 事業内容  / 水産加工業、倉庫業
 
創     業    / 1920年代(法人設立:1977年)
 事 業 所  / 本社(神栖市波崎)
           新港工場(神栖市波崎)
           鹿島流通センター(神栖市砂山)
           宝山定温センター(神栖市太田)

 

 水産資源を時代のニーズに合わせた供給で成長

 

 

 

 暖流の「黒潮」と寒流の「親潮」がぶつかる波崎、銚子沖は日本が誇る世界有数の漁場で、水揚げされる水産物の種類も実に豊富です。
 この波崎で昭和初期から水産加工業を営み始め、波崎と銚子の二つの魚市場を主取引に「カクジュウ」(商号)ブランドを生み出し、さらに昭和63年には営業倉庫業にも参入、積極的な営業活動を行っているのが株式会社藤村です。
  同社は70有余年の間、海の幸をそれぞれの時代のニーズに合わせ、最良の方法で安定かつ安全をモットーにして供給し続けてきました。そして、それが会社、社員に伝統とこだわりを持たせ、顧客から信頼と賛辞を得てきたのです。
 着実に成長を続け、現在三代目社長の代となっている同社ですが、初代、二代目の時代は苦労が多かったと現社長は語ります。

 

 

 

 

 冷凍・冷蔵設備の導入が大きな転機に ~水産加工品の安定供給が実現~

 

 

 海の幸を最高の品質でお客様に供給することが同社のモットーですが、水産資源は季節や天候などによって漁獲量が左右されるため、冷凍・冷蔵設備もない時代は長期間安定して供給することが困難でありました。
  「戦前、そして戦後まもなくは、冷蔵庫を保有している業者は地元大手企業のみの時代だったんです。いくら品質の良い魚を確保しても、保存がきかなければ、扱う商品は〝ニボシ〟そして魚をボイルして家畜の餌にしていた〝シメカス〟程度でした。冷蔵庫を導入する必要性は充分感じていましたが、初代そして二代目社長はそろって長らく戦地へ赴いていたため、当時はそれどころではなかったんです。当社にとっては本当に厳しい時代だったと思います。」と藤邨社長は語ります。
 そして昭和35年、ついに同社は水産加工場建設と共に、念願の冷凍・冷蔵庫を導入。これが大きな転機となり、波崎、銚子の漁港の安定した水揚げもあり、年間を通して品質の高い水産物を供給、同社は着実に水産加工業者として業績を伸ばすことになります。

 

 

 新たな事業展開が更なる飛躍に ~倉庫業開始により多様なニーズに対応~

 

 

 株式会社藤村が営業拠点とする波崎は、長年の間漁業と水産加工の町として独自の文化を築いてきましたが、鹿島開発により昭和40年代半ばには鹿島臨海工業地帯、鹿島港が建設され、国際流通拠点として近代的な産業社会を支えるという新たな役割が生まれました。
 こうした中、水産加工業として順調に成長してきた同社にも、新たな転機が訪れます。
 「昭和50年代後半に200海里問題が起こりましたが、日本人は必ず魚を食べる民族だから、漁獲量が減ったとしても海外から輸入するであろうと思ったんです。また、水産物だけでなく、産業構造変化から一般輸入貨物も増加し続け、鹿島港から輸入される荷を必ず保管する場所、倉庫が益々必要になるだろうと思いました。」と語る藤邨社長。
 同社は、昭和61年鹿島臨海工業地帯の一角に5千トン保管できる冷蔵倉庫を建設、同63年には倉庫業と保税蔵置場の許可を取得、新たな営業倉庫業の分野に参入したのです。その後、増大する鹿島港の輸出入貨物にあわせて漸次倉庫を増設、現在は冷蔵能力1万3千トンの規模まで拡大、冷凍・冷蔵・普通・定温と全ての温度帯対応の倉庫をそろえ、多様なニーズに応じています。
 「この新たなビジネスチャンスに取り組んだことが、今も当社を支えていると思います。銀行から借入をする際は休祭日でも利息を取られますが、倉庫業はその休祭日にお金を生むことができるのです。この投資は決して無駄にはならないと確信していました。」

 

 

 社員教育、後継者育成が企業存続の鍵

 

 

 創業以来の水産加工においても、流通の新時代に即応した倉庫業においても、生産・管理するのは人です。同社は人材育成上最も重要視していることは、経営理念を従業員に根づかせることです。
 「我が社の経営理念は"買う身になって作れ"という創業者からの単純ですが明快な理念です。お客様の笑顔のために"おいしさ、鮮度、安心と信頼"をお届けすることを、ただただ正直に心を込めて行うことを何度も指導しています。」
 また、藤邨社長は日本有数の漁港周辺にある老舗水産加工業者の倒産をいくつか目の当たりにしてきたと言います。それらの多くは、後継者問題(後継者がいない、資質・能力に欠ける)が大きな要因となっているケースが多かったそうです。
 「私自身24歳の時、父である二代目から金庫番を任され"金融機関が支援してくれるのは、若い後継者がいるからだ"と言われ、すごい緊張感とやる気が交錯した思い出があります。現在、私の長男、次男が事業に参加していますが、決して温室育ちにすることのないよう心掛けています。」と藤邨社長。
 金融機関の上層部が度々来会することもある同社ですが、その時は必ず長男を同席させるという藤邨社長。これは後継者教育と同時に、金融機関に対しても「当社には後継者がいるんだぞ!」というアピールも兼ねてのことだと言います。


 永年の営業活動の中で顧客の信頼に応えてきた同社ですが、現在も常に時代の声に耳を傾け、海の幸への限りない愛着と顧客思考に立った経営に努めています。
 「継往開来」(先人の事業を受け継ぎ、新たな事業を切り拓いて行くこと)を社是としている同社の更なる飛躍、ご活躍をご期待申し上げます。
 

 

 

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