ヤマト精機株式会社は、筑西市内に本社工場を有し、工作機械や工業用ロボットの金属部品、土木建設部品等の超精密切削加工を行っています。
平成24年12月13日、工場を訪問し、萩原晃代表取締役にお話を伺いました。
創業の経緯
萩原社長は、学校卒業後歯車製造会社で12年間勤務した経験を生かし、昭和55年4月に独立し、個人で機械部品加工業を創業しました。
創業時は甘えを排するためにそれまでに築いた取引先との関係を断ち、仕事の当てもない中で高価な旋盤機械だけを購入し、ゼロからの出発をあえて選択しました。その後順調に業績を伸ばし、昭和59年4月に法人化し、平成2年には筑西市嘉家佐和に現工場を建設するなど事業を拡大していきました。
経営危機で学んだこと
平成4年頃、バブル崩壊とともに危機が訪れます。売上がピーク時の4分の1まで激減、工場を設備した際の借入返済が重くのしかかってきたのです。毎月の手形の決済に追われ、萩原社長は精神的に追い詰められました。
3年後の平成7年、地下鉄のトンネル工事に用いられる金属建材部品の大口受注が入ったことで、ようやく危機を脱しました。
創業以来最大の危機を救ったものは、始めたことを最後まで成し遂げるという強い意志と、守り続けた顧客との信頼関係でした。
「高品質と短納期を徹底し、正しいものを正しく行い企業としての『徳』を積むこと。それだけが企業が生き残っていく唯一の方法だと苦しい中で気づかされました。」
と萩原社長はおっしゃいます。
当社では平成16年、当時はまだ珍しかった品質マネジメントシステムの国際標準規格ISO9001をいち早く取得、その後も平成22年に環境マネジメントの国際標準規格ISO14001を取得、平成24年には事業継続計画(BCP)を策定するなど、日々業務の改善と社会的責任を全うするための態勢強化を進めてきました。そのような経営姿勢が評価され、平成17年には世界的な工作機械メーカーと取引を開始し、順調に取引量を伸ばし会社を再び成長軌道に乗せることに成功します。取引先から要求されるのは1000分の1ミリ単位の超高精度加工と短納期であり、そのシビアな要求に絶えず応えることで取引を深耕していきました。
現在工場はフル稼働の状況にあり、当社では工場の増築と工作機械の増設を計画中です。増産体制が整う2013年4月以降、生産能力は現状比3割アップする予定です。
社会貢献の数々
創業からこれまでを振り返り萩原社長は、「山あり谷ありの『オフロードの人生』でした」、と笑われます。そして、
「先の見えない『オフロードの人生』は喜びや感動があって楽しいですよ。そしてこれからも先が見えないからこそ楽しみです」
とおっしゃいます。
当社では、10年ほど前から社会貢献活動にも注力しています。発展途上国であるラオスの学校に多くのパソコンを送ったり、壊れて使えなくなった楽器を修理して学校に寄贈したりしています。
それは、萩原社長の『何かを成し遂げることで若者に自信を持って欲しい』との熱い想いから始まりました。
そして、今年10月には地元への福祉貢献を目的としてデイサービス事業を開始しました。
デイサービスの拠点は居心地の良さにこだわり、利用者から「自宅よりも居心地が良い」と言われることが何よりうれしいそうです。萩原社長は従業員に、施設利用者を自分の親や祖父母と思い、情熱を持って介護にあたるように指導しています。
将来はデイサービスの拠点を大幅に増やし、お年寄りが地域で安心して暮らせるようにしていくことが目標なのだそうです。当社では数々の社会貢献活動を通じ、従業員の物心両面の幸福の追求を図っています。
おわりに
円高や外交問題、世界的な景気後退に端を発した輸出の落ち込みなど、日本の製造業を取り巻く環境は大変厳しさを増していますが、世界トップレベルの技術力を持つ日本の製造業の潜在的な能力がこれからも国内外で必要とされていくことは紛れもない事実だと思います。
どんな時代でも、それぞれの企業に存在する社会的使命に気づき、それを高いレベルで果たしていくことが顧客からの信頼を生み、ひいては会社の発展につながっていくということを今回の取材を通じて萩原社長に教えていただいたような気がします。
高い技術力を武器に日本のものづくりに貢献するヤマト精機株式会社のますますのご発展をお祈り申し上げます。