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株式会社ジェイ・オー・エヌ72

FRPの可能性を追求し、未来に羽ばたくプロ集団

 

 

 皆さんは、FRPという素材をご存知でしょうか。
お風呂の浴槽や船体に使用されている素材くらいはご存じの方もいるかもしれませんが、実はこのFRPは、軽くて丈夫で成型しやすいなど、たくさんのメリットがあるスグレモノであり、「あれも、これも、あそこにも」といった具合に私たちの身の回りにあるいろいろな製品に使用されているのです。(FRPについては末尾を参照して下さい)

 

 今回ご紹介する株式会社ジェイオーエヌ72(JON72)は、このFRPを用途に合わせ自由自在に使いこなすプロ集団であり、大手企業向けに住宅設備から医療機器のカバーに至るまで様々な製品を作り出しています。
 同社は、FRPに関する技術の粋を集め、ウルトラライトプレーン(超軽量飛行機)を開発し、なんと、中国の航空ショーにおいて鈴木武社長自らがその飛行機を操縦し、フライトを披露してしまうという驚きの企業です。また、様々な縁がもとで、世界で初めて北極海単独徒歩横断を成功させた冒険家の大場満郎氏(※)にソリを提供するなど、ちょっと"フツウの会社"ではありません。 
 

 鈴木社長は、ウルトラライトプレーンの操縦のみならず、現在でもサーフィンをするなど多趣味で、遊び心のあるたいへん魅力的な方でした。そんな鈴木社長が織りなす独自の経営手法をご紹介します!

 

(※)大場満郎氏
昭和28年生まれの冒険家。昭和58年、アマゾン川源流から6000kmを筏(いかだ)でくだる。昭和61年、北磁極を単独踏破。平成9年、4度目の挑戦で、世界初の北極海単独徒歩横断に成功。平成10年、南極大陸単独徒歩横断に挑戦し、3824kmを踏破した。植村直己冒険賞など数々の賞を受けている。

 


 

“マイナス”からのスタート、そしてサーフボード作りへ

 

 

 ㈱JON72は、1972年に設立された北茨城市関本町に本社を置くFRP製品専門の製造業者です。同社は1998年に中国広東省に製造工場となる現地法人を立ち上げており、現在、本社には、主に総務・経理部門と試作品の設計・製造といった開発部門を置いています。

 

 主力製品としては、日立の関連企業向けのMRIなど医療機器のカバーやローダなど特殊車両のボディーなどが挙げられますが、同社はいわゆる多品種少量生産型の企業であり、実に様々な種類の製品を作り出しています。このように今では海外に生産拠点を有し、最先端の技術が要求される製品を作っている同社ですが、その創業当時のエピソードや当時の製品は、次のように実に意外なものでした。

 

 鈴木社長のご実家は、かつてダイキャスト製品などを製造する金属加工業を営んでいました。鈴木社長も学校卒業後に家業に従事しましたが、数年後に経営は傾き倒産に追い込まれてしまいました。

 

「田畑ひとつ残らず、文字通り何もかも失ってしまいました。残った負債を返済するために何か事業を始めよう、そう考え思いついたのが、趣味でやっていたサーフィンで使用するFRP製のサーフボードの製作でした。極端に言えば、FRP製品の製造は、作業をする建物と電気とコンプレッサーさえあれば、さほど資金が無くても始められるのです。ゼロどころではなく、まさにマイナスからのスタートでした。」

 

 当時の苦労話も鈴木社長は笑って話しますが、本当につらい時代だったそうです。しかし、周囲には様々なかたちで支援してくれる方もおり、これまでその方たちからの恩を忘れたことはないそうです。

 

 

経験から生まれた鈴木社長流のルールとは…

 

 

 

 サーフボードからスタートした同社は、その後、浄化槽、仮設トイレ、ユニットバス、キャンピンガーなど様々な製品へと事業の幅を広げていきます。そうした中で、同社が掲げてきた"鈴木社長流"のルールがあります。それは、「手形は切らない、貰わない」「大手、上場企業など支払いが間違いない企業以外とは取引をしない」というものです。これらは、企業の倒産を目の当たりにし、手形取引や売掛金が回収不能となった時の恐ろしさが身にしみている鈴木社長ならではの方針といえます。
また、 「半径150㎞圏内の企業とは取引をしない」というルールもあります。これは、あまり近隣の企業と取引を行うと、接待などの付き合いが忙しくなり本業が疎かになってしまうという理由から生まれたものです。いずれも鈴木社長の経験則に基づいたルールであり、たいへん説得力があります。

 


 

 

高度な専門知識と繊細な技術、そして徹底した品質管理体制

 

 

 冒頭でご紹介したように、同社では2005年にFRP製のウルトラライトプレーン(超軽量飛行機)の製作に成功しています。鈴木社長は「うちは技術なんてもんは無いよ、運が良かっただけ」と受け流しますが、非常に高度な知識と繊細な技術が必要とされる飛行機の製造に成功したということは、同社がいかに優れた技術力を持っているかを明確に示しています。事実、その飛行機を見た海外の企業から取引をしたいと申し出があったそうです。素材の特性を知り尽くしたことで獲得したノウハウと、ISO9001に基づき構築された品質管理体制が同社の強みのようです。


 なお、取引先との製品に関する打ち合わせの際には、その要望通りの製品を作るのではなく、よりコストを抑える方法などについて踏み込んだアドバイスを行っているそうです。そうした積み重ねが信頼を生み、安定した取引関係に繋がっているといえます。

 

 近年では、いかにして蓄積したノウハウの流出を防ぐかということが、企業にとっての大きな課題のひとつとされています。ところが同社では技術やノウハウの漏えいを防止するための対策はとっていないと言います。それどころか、工場見学の依頼を受け入れ、写真撮影も断らない、時には技術のアドバイスまでするというから驚きです。

 

「技術やノウハウなどというものは、"コロンブスの卵"のようなもので、タネを明かせば大したものではない。隠したって誰か他の人が考え付きます。本当に大切なのは発想やアイデアを生み出す力です。仮に技術を真似されても、さらに素晴らしい技術を考えることができればそれでいいのです。」

 

 事実、同社の中国工場には様々な国の企業から見学の依頼が後を絶たないそうです。なお、見学に来てもらった方々には、記念として工場の敷地内に苗木を植えてもらうことにしているそうです。このユニークな取組みも、鈴木社長の次のような遊び心から生まれたものです。

 

「中国工場を立ち上げた当時、4万平米もある敷地には植木がほとんどなかったんです。資金に余裕がなくそこまで手が回らなかった。そこで、一度に植木を揃えるのは大変ですが、徐々になら負担が少ないだろうということで、工場見学の依頼があるごとに植木を用意し、来ていただいた方に記念樹として植えてもらうことにしたのです。"お互いの事業が実るように"ということで、全て何か実のなる木です。今ではマンゴー、ライチなど300本以上の木が育っており、果樹園さながらの様子です(笑)」


 

独自の人材育成方法 ~中国工場からの研修生受け入れ~

 

 

 海外に進出したものの、経営を軌道に乗せることができず撤退したというのはよくある話です。同社でも立ち上げ当初は言葉や文化の違いから思わぬ苦労があったそうですが、10年が経過した現在では現地採用の幹部も育ち、鈴木社長が日本と中国を半月ごとに行き来している以外、中国工場はほぼ現地の従業員が運営しているそうです。
 興味深いのは、同社では中国の優秀な従業員を、ほぼ毎年研修生として日本に招いており、日本にいる1年間、その研修生に鈴木社長の自宅で家族と一緒に生活してもらうそうです。

 

「努力をすれば誰でも日本で技術を学ぶことができる。このことは、彼らにとってたいへん励みになります。また、わが家で家族同然の生活をすることで、お互いに意思の疎通がうまくできるようになりますし、彼らが中国に戻った後にも、本社とのやり取りが円滑にいくというメリットがあります。何よりも生活をともにすることで、お互いに対する気持ちが全く違ってきます。」

 

 

 こうして日本に来た研修生は延べ13人にのぼり、中国に戻った研修生たちは工場を支える幹部として活躍してくれているそうです。

 

 

おわりに…

 

 

 近年の世界的な不況の煽りを受け、同社でも今期は若干の受注減少が見られるそうですが、全社的なコスト削減と新たなの受注の獲得に努力した結果、売上の減少を十分カバーできるだけの効果を上げているそうです。取引先からの絶大な信頼を得、不況にも負けない強い体質を作り上げている同社ですが、鈴木社長はこれまでの出来事を振り返り、「自分一人ではここまではできなかったよ」と語り、様々な人との縁と、その方々からのアドバイスが同社の成長のきっかけになったと話していました。

 

 

 JON(=Japan Ocean Natives)72という商号は、直訳すると「日本の海で生まれた民族」という意味の造語で、1972年、設立当時の従業員の方が考えたものだそうです。35年以上前にサーフボードから出発した同社の技術は、海を渡り、中国で飛行機の製作に成功し、未来へ向けて更なる飛躍を遂げようとしています。

 

 同社の今後ますますの発展を期待したいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

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