メークス株式会社は茨城県守谷市に本社、茨城県常総市と佐賀県神埼市および岐阜県恵那市に工場を有し、住宅用ユニット式基礎鉄筋(工場で住宅一棟ごとの図面に沿って加工され、建築現場での加工作業の手間を大幅に軽減した基礎鉄筋)の製造を行っています。また、常総市の工場近くで源泉掛け流しの天然温泉「きぬの湯」を経営しています。
平成25年3月21日、本社を訪問し、森山雅明代表取締役会長と小島孝仁取締役社長にお話を伺いました。
創業の経緯
当社は、建設会社や薬局などで経験を積まれた森山会長が、昭和54年に取手市内で鉄筋製造業を個人創業したのが始まりです。ご親族が病に臥されたことで、森山会長はなるべく側にいられるように、製造業を自営することを決意されたそうです。その後、昭和60年に当社を設立しました。
間もなく森山会長の高校の同級生である小島社長も加わり順調に業容を拡大し、平成2年10月には水海道市菅生に土地を買い、自社工場を建設し移転するまでになりました。
経営危機
工場が完成した後、バブル崩壊が住宅産業を襲います。鉄筋の需要が落ち込み、当社も多くの商品在庫を抱え、工場の設備投資の負担も重なり苦しい経営が続きました。
森山会長が苦しい時期を乗り切れたのは、
「絶対に人に迷惑をかけない。経営陣は爪に火を灯す生活をしても、社員を路頭に迷わせない。」という強い信念からでした。
その後もしばらくは住宅業界の動向により鉄筋の需要が大きく変動し、そのたびに当社の経営も左右される状況が続きました。
発想の転換と経営革新
平成5年、そのような状況にあった当社に転機が訪れます。
それまで当社では在庫を抱えた少品種大量生産を行ってきましたが、森山会長は経営手法を抜本的に見直し、多品種少量生産への転換を図りました。
邸宅の間取りにより一つ一つ形状が違う住宅用ユニット式鉄筋を、住宅メーカーから注文を受けてから、高い品質を確保しつつ1~3日以内の短納期で取引先に納品できる体制に転換したのです。
それにより、商品在庫を多く抱えなくて済み、鉄筋の需要に経営が左右されにくくなりました。
取引先の住宅メーカーも、オーダーメイドのユニット鉄筋により工事現場での加工や組立の手間が軽減でき、短納期による工期短縮からコスト削減が可能となりました。
これらの取組みが評判を生み、平成7年には大和ハウス工業㈱の指定工場に指定されました。その後積水ハウス㈱をはじめ、多くの東証一部上場企業にも取引先を広げ、平成17年には増産体制を整えるため工場を常総市に移転し、拡大するまでに至りました。
経営革新のきっかけや理由についてお聞きしたところ、
「大企業との懇談会で、大企業が少品種大量生産から多品種少量生産への転換を進めていることを知ったのがきっかけでした。経営者は常識にとらわれず常にフレキシブルでなければなりません。顧客ニーズを的確に捉え、実行していくことが重要と考え、それを実現する企業体制作りを進めました。」
と森山会長はおっしゃいました。
今後の経営戦略
当社では現在全国シェア10%の戸建て用ユニット式基礎鉄筋分野で、国内シェア30%を確保する目標を掲げ、宮城県白石市と大阪府泉大津市に新工場を建設中です。宮城県内への工場建設には、被災地で雇用を創出し震災復興を推進したいという森山会長の熱い思いがあるそうです。
また、当社では次の成長分野として、鉄筋製造の枠にとらわれない大きなプロジェクトを国内最大手の鉄鋼メーカーである新日鉄住金㈱と共同で進めているそうです。具体的な内容についてはまだ秘密とのことですが、森山会長の視線はすでに遥か先を見据えていらっしゃいます。
おわりに
話しをお伺いする中で、森山会長は苦楽を共にしてきた高校の同級である小島社長や奥様、従業員、取引先など、当社やご自身に関係する一人ひとりの方をとても大切にしていることがとても印象的でした。若い頃から付き合いがあった方はそれぞれに出世し、上場企業の社長や役員になられているそうです。
人を大切にすることで人から大切にされ、長年支えあって現在の会社の姿があるのだと感じました。
日本の住宅供給に大きく貢献するメークス株式会社の益々のご発展をお祈り申し上げます。