茨城県信用保証協会

元気企業

バックナンバー

株式会社堀石材工業

原石の採掘から製品化まで一貫した体制を敷き、地場産業の継承に貢献する。

 株式会社堀石材工業は水戸市に本社を構え、石材加工販売と売電事業を行っています。
 平成25年9月26日、桜川市の営業所と工場を訪問し、堀政美代表取締役にお話を伺いました。



 

当社のあゆみ


 


 昭和32年5月、堀義雄氏(堀社長のご尊父)が旧岩瀬町(現桜川市)で石材加工業を創業し、堀社長は学校卒業後、職人として弟子入りしました。
 昭和43年12月、堀社長がご尊父から事業を承継したのを機に当社を設立し、代表取締役に就任しました。
 当時の石材加工業界では、大規模な工場設備や採石場を持たず、採石業者から仕入れた原石を加工販売する形態が一般的でした。そのような中、堀社長は事業拡大を図るには自前で原石を採掘することが必要であると考え、採石用大型重機の導入を決意します。

 

「当時は経営者として駆け出しの頃で、茨城県が当時扱っていた中小企業設備近代化貸付資金(経営診断・助言を含めた県の直接貸付)を初めて借りたときは、県庁や銀行に何度も足を運び、県の職員や銀行の支店長から事業計画書の書き方や決算書の見方などを教えてもらいました。」

 

と、堀社長はおっしゃいます。
 その後、原石の採掘権を得て、原石の採掘から加工販売施工まで一貫して行える体制を構築しました。

 


 

 当社では、昭和61年、工場の増設のために桜川市内に建設用地を購入してまもなく、バブルが崩壊します。当社の売上は大幅に落ち込み、借入金の返済が重くのしかかりました。
 堀社長は当時を振り返り、

 

「会社や雇用を守るため役員報酬をゼロにしました。困難な時期を乗り越えられたのは、家族や従業員の支えと、業績が低迷したときも金融機関が全力でサポートしてくれたおかげです。」

 

とおっしゃいます。
 堀社長が必死になって経営改善に取り組んだ結果、数年後には経営の危機を脱しました。 

 

 

日本を代表する石材「稲田石」と石材加工業界の現状 


 


 稲田石(正式名称:稲田白御影石)は、茨城県笠間市の稲田周辺地域で採掘される白御影石で、日本一の採掘量を誇ります。美しく輝く白さと硬さが特長で、埋蔵量が豊富で安定した供給が可能である稲田石は、迎賓館赤坂離宮、日本銀行本店、国会議事堂、最高裁判所など、日本の代表的建造物に数多く使用されています。 
 現在、国内で流通する石材は、中国産などの安価な輸入品が主流で、国産品の需要は低迷しています。
 こうした石材業界の未来に大きな危機感を抱く堀社長は、

 

「職人が腕を発揮できる場が減り、石材加工業者の数も減少し、若者への技術承継が困難となっています。そこで、石材業の振興を図るために、地域の同業者が一丸となって『いばらきストーンフェスティバル』を企画し、石材や石材製品の魅力をPRし、販路開拓と産地ブランドの確立を目指しています。」

 

と、力を込めます。


 


太陽光発電事業への参入 


 


 平成25年7月に稼動した大規模太陽光発電施設は、桜川市内の土地約3.5ヘクタールに6,468枚の太陽光パネルを敷設し、出力は最大1.5メガワットを誇ります。
 これにより、年間約562トンのCO2削減に貢献するとともに、長期の安定収益確保を可能としました。

 

「原石の採掘は環境に負荷を与えている側面もあり、環境保護に少しでも貢献したいとの思いから設備を行いました。震災後原発が停止する中、当社は自然エネルギーの供給で社会に貢献していきます。」

 

と、堀社長はおっしゃいます。

 

 

おわりに



 

 事業環境が大きく変化する時代においても、伝統や技術を守りつつ、将来に向けた攻めの経営姿勢が大切だということを堀社長に教えていただきました。
 堀社長はこれまで、大型設備導入、経営改善、経営革新などの重要事項を決定する際は、取引金融機関などの意見に耳を傾け、経営者として最終的な責任を取る経営姿勢を貫いてきました。
 そのような謙虚な姿勢が、多くの関係者の協力を得ることを可能とし、企業の成長にもつながっているのだと確信しました。
 今後のますますのご発展をお祈り申し上げます。


 


▲Top